頭痛から食を選ぶことについて

先日、久しぶりの頭痛で寝込みました。
頭痛の前日は体が重たくてなんだか調子が出ない一日でした。
原因はその前の晩に食べたアイスクリームなんじゃないかと思っています。
カラフルでいろんなフレーバーがあってコーンに乗せてもらう、あのアイスクリームをお持ち帰りで購入して家族で食べました。
見事な程の色やいろんな味や香り、まぁいろいろなケミカルなものが入っているでしょうね~と簡単に想像がつく食べ物です。
翌日、私の身体は「よくわからないものは消化できないよ~!」って訴えて、身体が重くなったり頭が痛くなったりしたのだと思います。
私がなぜ、結果を想像できるにもかかわらずカラフルなアイスを買ったのか
それは「思い出」ということが関係しています。
私にとって今回買ったカラフルアイスは子供の頃の楽しい思い出とセットになっています。
子供の頃に登場した、新しいお店。見たことのないアイスたち。たくさん種類があって選ぶ楽しさがあること。
カタカナで長ーいネーミングをちゃんと言えるかドキドキしながら店員さんに言ったこと。
そういったワクワクする楽しさとセットになったアイス。これを自分の子供達と共有したくなりました。
買って帰ったアイスを夕食後に出すと、みんな喜びました。パッケージがかわいくてカラフルで色々なフレーバーがあることはワクワクします。
みんなでとっかえひっかえ交換して食べ比べて、まぁ楽しい時間が過ごせました。
私は何も言わないようにしていたけど、ニオイ(香料)が強いとか色がすごいねとか、最後には「甘すぎ!」と言ってました。
やっぱり楽しいだけじゃなくて、食べ物としての違和感を感じたようです。
それから買うときに気になったことがありました。その日はお店がすごく混んでいてみんなスマホの画面を店員に見せています。
どうやらスーパーフライデーとかで、無料で食べられるらしいです。その時その場でお金を払ってアイスを購入しているのは私だけでした。
私は他の人の分もアイス代を払ったような気がして、アイスの原価のことを考えてしまいました。
「思い出」を大事に抱えて良くないとわかっていても手を出してしまうのは人間の性なのかと思います。
ある程度仕方ないし、それがあるから人間としての心の豊かさみたいなものが出てくると思います。
だから食っていうのは何が良いとか悪いとか一言では言えなくて、本当に個人的なことなのです。
私は自分らしく生き方をしたいから、自分が納得したものと関わってゆきたいと思ってます。

今回のことで、あーもうこのアイスは買わないなと思いました。
子供の頃のワクワクした思い出は、完全に思い出になりました。

食にこだわると、体にいいとされるものしか食べたくないと頑なになる時期があるのですが
それはそれで良いことだと思います。
体の中がデトックスできますし、味覚も回復します。
ただ、それが行き過ぎていつもいつも同じようなものを食べていると変化しないってことなので停滞してまたは後退してゆくような気がします。
この世の中にいろいろあるものはみんな意味があるから、リスクがあったとしても経験しないとおもしろくないと思います。
そんなわけで私は子どもたちにも食べ物でいろいろ経験させてます。
食にはこだわってますが、たまにジャンクなものもOKにしてます。私も食べて、どこに魅力があるのか?なんて考えながら食べてます。

先日は娘がTVでみた海苔の佃煮を欲しがったので買いました。
これも私にとって「思い出の食べ物」の一つ。家の食卓にたいていありました。私はなんだかんだ幸せな家庭で育ったので食卓の風景を思い出すことでとても温かな気持ちになれます。
買ってきたものを実際に食べると、んんんーもういらない、、、の味。私にとって余計なものが入った味です。
子どもたちはわかりやすい味だから気に入ったみたいでよく食べています。
瓶が空になってからまた買ってと言われたら困るなと思ってます。
その時は海苔で自家製の佃煮を作りたいです。あ、最初からそうしておけばよかった。

食べ物を選ぶことでついでにもう一つ。
私は元々ジャンクフードが大好きでした。食べすぎてある時体に悪いなと思って食のことを勉強しようと思って栄養士になりました。
ポテトチップスとか食べたくなる仕組みがあるんですよね。
幕内秀夫さんの著書「ポテチを異常に食べる人たち」や「ドラッグ食、あなたを蝕む食依存と快楽」を読むと止められない仕組みがよくわかります。
私はいろいろ学んで知ってはいたんですが、たまに食べていました。
良くないと思っているのに「ま、いっか」と言って食べるのはほんとに良くないことで、だったら心から100%美味しい、しあわせ~って食べていたほうがまだましかなと思います。
こういう心理ってまさに「依存状態」だと経験上思います。
それでまた食べたんですが、食べると決まって口元に吹き出物ができるな~って気づきました。
私は最近、キレイになる!宣言したのでこれはイヤだな、と思いました。
それで自分を大事にしたいワタシは自分を大事にするのはどっちか考えて、ポテトチップスを食べることをやめました。
ポテトチップスが美味しい理由は油と塩のが食べたいからなんです。
ポテトチップスが食べたくなったら茹でたり蒸したりしたジャガイモに良質なオイルをたっぷりかけて海の塩をしっかりかけて食べると身体は満足します。
ポテトチップスを食べるよりも手間はかかるけど、自分を大事にしたいからこの手間は惜しみたくないなと思います。

子供の頃の食の思い出といえば、どんなお店で買物をしていたかが思い出されます。
私が住んでいたのは世田谷区下北沢まで歩いて20分くらいのところでした。
魚屋、八百屋もありましたがスーパーマーケットもありました。マクドナルドがあったしセブンイレブンができたことを覚えています。
昔ながらのお店と近代的なお店が混在していたように思います。
魚屋に行くと当たり前ですが魚しか売ってません。
お店の人は魚のプロで聞くとなんでも答えてくれたような気がします。
手早く三枚におろしたり、美味しく食べる方法を教えてくれたり。
八百屋でもそうです。お店の人が仕入れてきた野菜ですから、お店の人は自信を持って売ってました。
こちらが聞く前からこれはどうやって食べたら良いとか、旬だから食べごろだとか美味しい野菜の見分け方とか。
私たち買う側は、ただ食品を買いに行くだけでなくて食品の知識も一緒に得られたんだとおもいます。
だから自然に旬の時期を知っていたし、魚の煮付けもおいしく作れたんです。
今はほとんどの食品をスーパーで購入するようになりました。
きっとバイヤーはこだわりもって選んで店頭に並べてくれていると思います。でもそのこだわりとか食品について聞く機会はなかなかないです。
スーパーマーケットだとどの人が市場に行って買い付けるかわかりませんし。
食についての情報を知る機会が本当に少なくなったと思います。
今はネットで調べたらたくさん出てくるけど、自分からアクセスしないと得られないから知ってる人と知らない人の差が大きくなるばかりだと思います。
そして、書いてあることを読むのと実際に聞くのとでは何か違うと思うのです。情報のリアリティというか体験からくる話はぜんぜん違う。
きっと印象に残ったり覚えたりするのは実際に聞いたことなんだと思います。
食ってダイレクトに自分の体に入るものですから、よくわからないものを食べないほうが良いと思うのです。
食にもっと関心を向けて欲しいと思いますが、今の仕組みでは難しいってことですね。

包丁の扱い方&切り方レッスンのランチ。次回は11/6開催します。

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