ドイツ緑の週間デモから感じたこと

ドイツでこんなデモがあったそうです

「Wir haben es satt!」

 

お腹いっぱいだよ!もうたくさん!の意味だそうです。

 

緑の週間(環境や自然、生命に関する最先端の技術やアイディアが集結する見本市)中に起きたデモ。日本のメディアでこれについてのニュースを私は聞かなかったです。

 

デモの抗議内容は

・大規模農業による、過剰な農薬や肥料の散布

・動物虐待に繋がる集中畜産、食肉の大量生産

など、農業の工業化を改めるため、農政の抜本的な改革を求めた内容だ。

 

現状、ドイツは戦後の国策によって農業大国になった。

なんと農産物の輸出額世界3位だそうだ(1位アメリカ、2位オランダ、2016年)

ドイツの面積と日本の面積はたいして変わらない。なのに日本は45位!なぜ日本はできないの?って話はまた今度に…

 

カロリーベースで食糧自給率が95%になったドイツ。国民のお腹が満たされたら、自然保護や、動物愛護や、自然農法への回帰や、動物虐待しない畜産の模索に意識が向けられるようになったのだと思う。

もちろん生産者の主張もある。「私たちは皆のお腹を満たしている!」って主張のデモも同時に起きているそうだ。

 

私がここから感じたこと。

 

選択できるって贅沢なこと、豊かであるからできることだって思う。

だから「Wir haben es satt!」の主張は、先進国の役割だと感じる。

日本人も先進国を名乗ってるなら、もっと意識向けようよ!って思う。

人工イクラがこぼれる恵方巻に踊ってる場合じゃないよ!!

 

でも私はこんなことも思う。

 

戦後アメリカからの小麦粉供給は余ってるのを押し付けられたなんて話があるけど、

それで助かった命があることも事実。ドーナツやショートケーキが楽しめるのもこのおかげ。

大量生産、化学肥料、農薬、ポストハーベスト、一個一個見たら私はイヤだなぁと思うけど

わたしたちが恩恵を受けているのも事実。

 

なにが良い、悪いじゃなくて、その時、その時代に必要だから生じてることなんだ。

 

だから、問題は与えられている事を当たり前に受け取っている事だと思う。

 

どういうことかというと

  • 受取る事自体があたりまえになり「あって当然」だと感謝はどんどん薄れてゆく。
  • 与えられたものがどういうものなのか考えないこと。

経験すること、創造力を働かせることを、多くの人が軽く見てると思う。

極端かもしれないが、今まで食べていたものに、あるときから微量の毒が混ぜられていても気がつかないかもってことだ。(過去の食品添加物の使用について見たら大げさな話じゃない)

もし、自分の健康が食べ物によって侵されたら、誰に文句を言う?

国?食品メーカー?小売店?

もしも、明らかな証拠があり毒性が証明されたとしても

自分の健康が戻るわけじゃない。

 

自分の身を守るのは自分。

自分の身体に何を入れるのかは、自分の責任。

 

 

この食べ物

身体に悪いけど、

太るけど、

 

ま、いっか。

 

よく聞くけど、誰かが同じように「〇〇だけど、まっいっか。どうぞ召し上がれ」

って言ったら、いい気はしないでしょう。

 

それを自分に向けてやってませんか?言ってませんか?

 

私が自分が納得できる食べ方をしたいのはそのためだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください